私の世代では、30歳過ぎまで独身だとなんとなく恥ずかしく、結婚を急いだものだ。40過ぎまで独身でいると、何か身体的に不具合でもあるのか、家庭的に問題でもあるのかな、と考えられる恐れを感じるくらいの時代だった。
大学卒業後二年で、父をすい臓がんで亡くした。長男であったので、親代わりに冠婚葬祭に出たり、挨拶もした。仕方ないといえばそれまでだが、そんな状況の場面で、必ず、結婚はまだか、更に、結婚後は、子供はまだかと必ず聞かれたものだ。世間というものは、まずは身内、親戚、そして近所、職場、友人と広がっていく。その場面ごとに、常識(共通意識)というものにぶつかり、永年の人間の営みのようなものを、私なりに感じて生きてきた。
しかし、最近、こんなことが多いことに驚いている。まず、私の同級生のうち、15歳の中学3年生の同級生二人の女性と話すことがあった。一人はなり親しくて、私が、うつ気味で沈んでいた頃に、電話をして励ましてくれた心優しい女(ひと)。あと一人は、割と近所に住んでいるひとり息子と暮らすお金持ちの女性。
どちらも、ちょうど40歳過ぎの独身の息子さんがいるのである。そして、同居されている。実はまだ他にもちらほらと40歳代で独身の息子さんがいる家庭をなん人か知っている。
今の時代、たしかに派遣社員などでは、家庭も持てない状態である事は、私にも30歳過ぎの娘がいるので、よく知っている。本当に時代の波に飲み込まれて、可哀想だと思う。これは、私側からの感想だ。ご本人たちから意見を聴いたわけではないのでなんともいえないが、少なくとも、親は、早く結婚してほしいと、望んでいるようだ。
そこで、私が思うのは、こんな社会構造にした自民党政府、ひいては、グローバリストたちが悪いと、ほぼ政治の責任問題だとは思うが、この政治の面があるのが一つ。しかし、今の若者達には、どうも、結婚願望がそのものが希薄で、その原因が、単に生活レベルだけてはなくて、それ以外に我々の世代には思いもつかないような、何といえばいいのか、結婚をして子供を育てる事以上に、自分たちの関心事に、より時間を割きたい、自分のやりたいことを追及することの方が、なによりも優先したいという願望が強いように感じるのだ。
この二つの要素は、どちらが原因で結果なのか、ニワトリが先か、卵が先か、と同じ関係で、なんともいえないが、私は、それに付け加えて、もう一つの要素があるような気がしてならない。
続く
トリファラスキーの世界
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